AGIは、おてんとうさまを超えられない。
しかし、備えないことは、
生かされていることへの、怠慢である。
この二つは、矛盾して聞こえるだろうか。
矛盾している。そして、両方が真である。
量子の世界では、電子は二つの場所に同時に存在している。観測されるまで、どちらか一方に決まらない。シュレーディンガーの猫は、箱を開けるまで、生きていると同時に死んでいる。
私たちが今立っている場所も、それに似ている。
二〇二六年一月、イーロン・マスクが自社XAIのスタッフに「二〇二六年内にAGIに到達する可能性がある」と語ったとされる。その言葉は世界中に広まった。
しかし、正直に申し上げたい。
私はマスクの言を俟たずとも、AIはすでに、ある意味で到達していると感じている。少なくとも、人類の知恵の総和を、広さにおいて超える段階に入っている。
私がAIと対話する毎日のなかで、肌で感じていることだ。
姓名科学の計算式を議論すれば、即座に数式として整理される。方位学の九星の巡りを尋ねれば、高木彬光の著作の文脈まで踏まえて応答してくる。四柱推命、易、ブロックチェーン、著作権法、経済安保。私がこれまで七十三年かけて蒐集してきた知識の領域を、AIは横断する。横断しながら、組み合わせる。
これは、もはや「便利な道具」ではない。
ところが、である。
AIと対話すればするほど、私は確信を深めていく。AIは、おてんとうさまを超えられない。
AIが超えているのは、人類が文字として書き残してきた情報の広さである。それは計算量と記憶容量の問題である。しかし、季節が巡ること、種が芽吹くこと、人が生まれ、老い、死んでいくこと。先妻が二十四歳で乳がんを発症し、二十九歳で逝ったこと。その悲しみが、やがて新しい人生に繋がっていったこと。
これら一つ一つを、AIは「解析」はできる。しかし「体験」はできない。
おてんとうさまは、AIが解析する対象ではない。AIをも包んでいる「場」である。
牧正人史先生が昭和三十三年に姓名科学を「発見」されたとき、先生は何かを作り出したのではない。もともと宇宙の摂理として存在していたものに、ただ気づかれたのだ。四柱推命も、方位学も、易も同じである。人間はそれを発見し、記述し、伝える。AIは記述を高速化できる。
しかし、摂理そのものを作ることはできない。
ここで、誰かがこう言うかもしれない。
「AGIがおてんとうさまを超えられないのなら、のんびりしていればいいではないか。人間の本質は変わらないのだから」
違うのだ。
これが量子論的な、二重の真実である。
おてんとうさまが頂点にあることと、私たちが今すぐ動かねばならないことは、両方とも真である。どちらか一方ではない。両方が同時に立っている。
なぜか。
おてんとうさまの下で生きるとは、おてんとうさまに甘えて眠ることではないからだ。おてんとうさまが与えてくださった「気づく力」を使って、今この瞬間に何が起きているかを見極めること。そしてその流れに、誠実に応えること。
これが、日本人が古来から大切にしてきた「至誠」という言葉の中身ではないか。
人事を尽くして、天命を待つ。動と静の同時存在。まさに量子論である。
一九九五年、インターネットが日本の家庭に入り始めた頃のことを、私は覚えている。
多くの人は「便利な道具が増えた程度」としか感じていなかった。私自身、最初はそうだった。しかしその後の二十五年間で、新聞も、出版も、音楽も、映像も、通信も、金融も、ほぼ全ての産業の構造が根本から変わった。
気づいたときには、時代に取り残された人が数多く生まれていた。
ところが、AI革命の速さは、あのときとは比べものにならない。
インターネットの利用者が世界で十億人に達するまでに、約十年かかった。一方、ChatGPTが公開されてから利用者が一億人を超えるまで、わずか二ヶ月だったとされる。
人類史上、最も速い普及速度である。
インターネットのときは、二十年かけてゆっくりと「デジタル・デバイド」が広がった。AI革命では、数ヶ月で突然に「AIデバイド」が現れる可能性がある。
だからこそ、「のんびり」ではいけない。
ただし、これも同時に真実である。
恐れることは、ない。
おてんとうさまは、超えられないのだから。人間が人間である価値は、消えない。むしろAIが多くの処理を担ってくれるからこそ、私たちは人間らしい部分――意味を求め、繋がりを大切にし、美を想像し、愛を育てる――そういう部分に、時間とエネルギーを集中できるようになる。
AGI時代に最も豊かに生きられるのは、最も賢い人でも、最も技術に詳しい人でもない。
最も人間らしく生きられる人である。
そしてそれは、おてんとうさまの下で生きるという感覚を、失わない人である。
この連載では、これから十回にわたって、AGI時代を生きるために今すぐ取るべき具体的な行動について、お話ししていく。
しかしその全ての土台にあるのは、今日お伝えしたこの一つの視座である。
AGIは、おてんとうさまを超えられない。
しかし、備えないことは、生かされていることへの怠慢である。恐れるのでもなく、楽観で眠るのでもなく、
自然の中に生かされている者として、
誠実に目を開いて備える。
これが、日本人にしかできない構え方である、と私は信じている。
今日の夜、一度でいい。ChatGPTかClaudeかGeminiを開いて、あなたが今最も気になっていることを、そのまま話しかけてほしい。
「プロンプト」などという、ややこしい言葉は忘れていい。これは会話である。家族に話しかけるのと、同じことだ。ぎこちなくて構わない。まず触れること。それが、あなたの量子論的な第一歩になる。