おてんとうさまの下で記録 / 本文
大谷物語 一

理由は、言わなかった

――二十四号のボール
2026年9月9日随想スポーツ

令和八年七月三十一日、日本時間の八月一日。ドジャースタジアムでのレッドソックス戦です。

大谷選手は一番・指名打者で出場していました。左膝の痛みで二試合を欠場した、その明けの試合です。今にして思えば、この頃から膝は悲鳴を上げていたことになります。

一点を追う五回、二死二塁。カウント二ボール一ストライクから、左腕モラン投手のチェンジアップが甘く入りました。打球速度は時速百八十キロあまり。今季で六番目に速い当たりが、右翼スタンドへ飛び込みます。一時逆転となる二十四号でした。

打球の行方を見届けた大谷選手は、舌をぺろりと出して頬を緩めたそうです。そして二塁を蹴ると、右手で三塁側の上段を指さし、手を振りました。

そこには、六月に生まれたばかりの長男がいました。この日が、球場での初観戦だったのです。

右翼席の男

そのボールを捕ったのは、ロサンゼルス在住のルイス・ゴメスさん、二十九歳でした。

大学時代まで投手をしていた方で、この日も十一年間使い続けているグラブを持って球場に来ていました。落球せずに掴んだあの瞬間を、人生でいちばん緊張した瞬間だった、と振り返っています。

試合後、球団の警備員がゴメスさんのもとを訪れました。翔平がそのボールと交換したいと言っている、という伝言です。

ゴメスさんは尋ねました。なぜ欲しがっているのか、と。

その場では、教えてもらえませんでした。

理由を言わずに頼むということ

ここが、私がこの話でいちばん心を惹かれたところです。

警備員自身も、詳しい理由を知らされていなかったと報じられています。つまり大谷選手の側は、なぜ欲しいのかを伝えないまま、交換を申し入れたわけです。

考えてみてください。生まれたばかりの息子が初めて球場に来た日の一本なんです、と言えば、断れる人はまずいません。理由を言えば、話は通りやすくなる。それをしていないのです。

言えば通ることを、言わずに頼む。断られてもよい、という構えです。

ホームランボールは高値で取引されることもあります。ゴメスさんは筋金入りの収集家で、生まれた日からドジャースファンだと語る方です。断ったとしても、誰も責められません。

それでもゴメスさんは応じました。後になって長男の初観戦の日だったと知り、大谷選手にとって特別な意味を持つボールだと思ったから、と語っています。そして、迷いはなかった、とも。

球団を通じて届いたのは、直筆のサイン入りバットとボールの二点でした。ゴメスさんのお父様も喜ばれて、一つは自分のものにしたい、とねだられたそうです。二点は額に入れて、自宅の一室に飾られる予定だと言います。

そして、試合は負けた

この日の結果を書いておきます。

ドジャースは四対九で敗れました。 大谷選手の一発は一時逆転をもたらしましたが、そのあと突き放されています。本人は五打数二安打二打点でした。

美しい話の日に、チームは負けている。私はこの事実も、一緒に書いておきたいと思いました。人の営みというのは、たいていそういうものだからです。良いことと悪いことが同じ日に起こる。

アメリカの掲示板では、この交換をめぐって多くの声が上がりました。中に、こういうものがあったそうです。双方が一流の振る舞いをした、と。

私も、そう思います。これは大谷選手が立派だったという話ではありません。理由を言わずに頼んだ人と、理由を知って手放した人の、二人の物語です。

言えば通ることを言わなかった人がいて、言われなくても察した人がいた。そういう日が、ロサンゼルスの夏に一日あったということです。

この連載について
大谷選手にまつわる小さな出来事を、一話にひとつずつ書き留めていきます。称賛の言葉は、なるべく足しません。起きたことだけを並べて、あとは読んでくださる方に委ねます。

そして、確かめられなかった話は書きません。心温まる話ほど、出所のわからないものが世の中を回っています。書けない話が出てきたときは、書けないと申し上げます。それも含めて、この連載だと思っています。
※本稿は、スポーツ報知、スポーツニッポン、Full-Count 各紙の報道に基づいて記しています。
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