二日続けて、同じ人のことを書きます。ただ今回は、連載の本編ではありません。数字の話でもありません。
二つの場面を並べるだけです。
九月十七日、シンシナティ。ドジャースがレッズに八対二で勝ち、五年連続の地区優勝を決めた日です。
試合後、選手たちは敵地のクラブハウスで美酒を浴びました。
その輪に、大谷選手はいませんでした。
負傷者リストに入っており、遠征にも帯同していません。中日スポーツの番記者が書いています。ドジャースへ移った以降、歓喜の祝杯に加われなかったのは、これが初めてだった、と。
その記者は、もう一つ前の場面についても書いていました。
八月二十八日、タイガース戦の試合前のことです。三十日の復帰登板を見据えて、大谷選手はブルペンで投げていました。ところが、わずか十七球で切り上げています。
ブルペンから戻ってきた大谷選手の挨拶が、やけに甲高かったそうです。いつも以上に明るく振る舞う姿に、記者は不自然さを感じたと書いています。 何かあるかもしれない、という予感は当たりました。
翌日、登板回避が発表されます。結局それが、今季最後の投球練習になりました。そして十一日後、負傷者リスト入りです。
あの明るさが何だったのか、私には分かりません。ただ、記者が違和感を覚えるほどの明るさだった、という事実だけが残っています。
その翌日、九月十八日。本拠地ドジャースタジアムでのジャイアンツ戦です。
大谷選手は、マーリンズとの三連戦にもレッズとの四連戦にも同行していませんでした。本拠地に戻って、久しぶりにその姿がありました。
試合は序盤に一点を追う展開でしたが、五回にヘルナンデス選手の適時打で追いつき、六回に新人のデパウラ選手が右中間へ勝ち越しの二塁打を放ちます。この選手は、大谷選手が抜けた枠でメジャーへ上がってきた二十一歳です。
そして八回、打線が爆発しました。マンシー選手の二十九号、タッカー選手の十七号、スミス選手の八号、そしてベッツ選手の二十二号二ラン。一イニングで四本です。 初回のベッツ選手の先頭打者弾と合わせて、この日は五本の本塁打が出ました。
その八回の攻撃中、パーカー姿の大谷選手がベンチに現れます。
報じられているのは、それだけです。
私が書けるのは、ここまでです。あとは並べるだけにします。
前の晩、祝杯の輪に入れなかった人が、翌日ベンチに出てきて、種を食べながら仲間を迎えている。
その日は、自分がいなくても打線が五本打った日でした。自分の代わりに上がってきた二十一歳が、勝ち越しの二塁打を打った日でもあります。
そして、初回に先頭打者本塁打を打ったベッツ選手は、球団での通算三十三本目を記録して、この記録の球団最多を更新しました。それまでの記録を持っていたのは、二十九本の大谷選手です。
自分の記録を抜かれた日に、その相手をタッチで迎えたことになります。
ネット上には、大谷選手が抜けてからチームは強くなったのではないか、という声も出ていました。数字だけを見れば、そう読めなくもありません。
そういう日に、ベンチへ出ていく。
実は、この稿を書くきっかけになった動画がありました。
あの夜のベンチで大谷選手が仲間にかけた言葉を、選手たちが語るという形式のものです。早くみんなと野球がやりたい、いいな、自分も早く打ちたい、と言ったのだと。
いい話です。あの人ならそう言いそうだ、とも思いました。
ただ、調べても、そのやり取りが報じられた形跡は見つかりませんでした。選手たちの談話も、どこで行われた取材なのか示されていません。ですから、書きません。
こういうとき、いつも同じことを思います。いい話ほど、確かめられないと惜しい。
けれど、確かめられたものだけを並べてみて、気がついたことがあります。
言葉がなくても、伝わるのです。
祝杯に入れなかった翌日にベンチへ出ていったこと。ヒマワリの種を食べていたこと。自分の記録を抜いた相手を、手を合わせて迎えたこと。これだけで、その人が何を考えていたかは、だいたい察しがつきます。
むしろ、都合のよい台詞を足さないほうが、あの人らしいのかもしれません。