おてんとうさまの下で記録 / 本文

庇うということ

――右膝が痛んでみて
2026年9月20日随想思索

二日前から、右膝が痛みます。

大谷選手と一緒になってしまいました。もっとも、あちらは左で、こちらは右ですが。

一、伸ばすと痛い

いちばん困るのは、夜です。

横になって膝を伸ばそうとすると、痛みが走ります。曲げていれば楽なのですが、ずっと曲げたままでは眠れません。伸ばしたい、けれど伸ばすと痛い。その繰り返しで、夜が過ぎていきます。

その前日、雨の中で八ヶ岳の草刈りをしました。それが響いたのかもしれません。年齢が年齢ですから、あちこちにガタが来ているとも言えます。

ただ、本当のところは分かりません。素人が自分の体を診断するのは、いちばんやってはいけないことでしょう。

二、ところが、歩けるのです

昨日、都心まで出かけました。東京郷友連盟の執行委員会です。

出る前は、覚悟していました。駅まで五分、市ケ谷から千鳥ヶ淵の戦没者墓苑まで十五分。たかが数十分とはいえ、あの膝で歩けるだろうか、びっこを引くことになるのではないか、と。

ところが、痛くないのです。

普通に歩いていました。あれほど夜には痛んだものが、歩いている間は何ともない。

伸ばそうとすると痛い。けれど、歩くぶんには痛まない。

同じ膝、同じ日のことです。動きの種類によって、痛む場面と痛まない場面が分かれる。

これは不思議でした。

三、勝手に、庇っている

歩きながら、自分の足の運びに気がつきました。

右膝に体重が乗らないような歩き方になっているのです。

意識してそうしたのではありません。気がついたらそうなっていた。右足を着く時間が短くなり、その分を左が受け持っている。曲げ伸ばしの幅も、右だけ小さくなっていたように思います。

痛くないはずです。痛くならない歩き方に、体が勝手に変えていたのですから。

これは、ありがたいことだと思いました。誰に教わったわけでもないのに、体が自分で答えを出している。おそらく、これが自然なのでしょう。

四、けれど、その自然が

そこまで考えて、はたと気づきました。

私は今月、同じことを何度も書いてきたのです。

大谷選手の休養について書いた最初の稿で、こう記しました。左膝を庇えば骨盤の回転が変わり、そのずれが右腕や首へ連鎖する可能性がある、と。

その後、報じられたところによれば、膝の炎症を抑える注射を打ちながら出場を続け、膝を庇うことで手打ちになり、首の周辺まで痛めたとのことでした。

私が書いたのは、報道を読んで考えたことです。自分の体で分かっていたわけではありません。

ところが今、その庇う動きを、私自身がやっている。

都心を歩きながら、痛くないことを喜んでいました。けれど、痛くないのは治ったからではありません。痛まない歩き方をしているからです。 その間、左足には普段の倍の仕事が回っています。腰にも、背中にも、どこかへ負荷が行っているはずです。

五、庇うことの、二つの顔

庇うという働きには、二つの顔があるのだと思います。

一つは、守るという顔です。 痛いところに体重を乗せない。これがなければ、人は悪化するまで同じ動きを続けてしまいます。体が勝手に守ってくれる。ありがたい仕組みです。

もう一つは、隠すという顔です。 庇えば痛みが出なくなります。すると、痛いという合図そのものが消える。問題が続いているのに、知らせが来なくなる。

私が昨日、普通に歩けてしまったのは、二つ目のほうが働いていたからでしょう。

そして厄介なのは、本人が庇っていることに気づいていないという点です。意識していないのですから、やめようもありません。

六、大谷選手も、同じでしょうか

ここで、同じだろうと書きたくなります。

けれど、書きません。

あの方は世界最高の打者で、私は七十三の年寄りです。負荷の大きさも、体の作りも、比べようがありません。同じかどうかは、分からない。

ただ、一つだけ言えることがあります。

庇うという働きは、誰の体にも備わっています。そして、庇っていることは本人には分かりません。 世界一の選手であろうと、そこは同じはずです。

むしろ、鍛えた人ほど庇う力が強いのではないでしょうか。私が歩けてしまった程度のことなら、あの方は試合に出られてしまう。庇う力が強いというのは、限界が見えにくいということでもあります。

七、外から見る目

昨日の私に必要だったのは、たぶん助言ではありません。

痛みますか、と聞かれれば、歩けるので大丈夫です、と答えたでしょう。本当にそう思っていたのですから。

必要だったのは、私の歩き方を横から見てくれる人だったのだと思います。

右足の着き方がおかしいですよ、と言ってくれる誰か。自分では見えないのです。歩いている本人には、自分の姿は映りません。

庇っていることに、本人だけが気づかない。だから、外の目が要る。

休めと繰り返し書いてきたのは、結局このことだったのだと、今になって思います。本人は本当に大丈夫だと思っているのです。 嘘をついているのでも、我慢しているのでもない。体が上手に庇ってしまうから、大丈夫に感じられる。

結び

今日は、少し歩き方に気をつけてみます。

と書きましたが、意識した歩き方が正しいとも限りません。庇うのをやめたら、今度は痛いところに体重が乗ります。それが良いのかどうかも、素人には分かりません。

ですから、一度きちんと診てもらおうと思います。

七十三にもなって、雨の中で草刈りをしたのがいけなかったのかもしれません。それはそれとして、山の草は伸びるのです。誰かが刈らなければなりません。

ただ、膝のほうは、少し様子を見ようと思います。

人には休めと書いておいて、自分が休まないのでは、話になりませんので。

※本稿は制作者自身の経験を記したものです。症状の原因について医学的な判断を示すものではありません。同様の症状のある方は、自己判断をなさらず、医療機関にご相談ください。大谷選手に関する記述は、報道された範囲にとどめています。
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