二日前から、右膝が痛みます。
大谷選手と一緒になってしまいました。もっとも、あちらは左で、こちらは右ですが。
いちばん困るのは、夜です。
横になって膝を伸ばそうとすると、痛みが走ります。曲げていれば楽なのですが、ずっと曲げたままでは眠れません。伸ばしたい、けれど伸ばすと痛い。その繰り返しで、夜が過ぎていきます。
その前日、雨の中で八ヶ岳の草刈りをしました。それが響いたのかもしれません。年齢が年齢ですから、あちこちにガタが来ているとも言えます。
ただ、本当のところは分かりません。素人が自分の体を診断するのは、いちばんやってはいけないことでしょう。
昨日、都心まで出かけました。東京郷友連盟の執行委員会です。
出る前は、覚悟していました。駅まで五分、市ケ谷から千鳥ヶ淵の戦没者墓苑まで十五分。たかが数十分とはいえ、あの膝で歩けるだろうか、びっこを引くことになるのではないか、と。
ところが、痛くないのです。
普通に歩いていました。あれほど夜には痛んだものが、歩いている間は何ともない。
同じ膝、同じ日のことです。動きの種類によって、痛む場面と痛まない場面が分かれる。
これは不思議でした。
歩きながら、自分の足の運びに気がつきました。
右膝に体重が乗らないような歩き方になっているのです。
意識してそうしたのではありません。気がついたらそうなっていた。右足を着く時間が短くなり、その分を左が受け持っている。曲げ伸ばしの幅も、右だけ小さくなっていたように思います。
痛くないはずです。痛くならない歩き方に、体が勝手に変えていたのですから。
これは、ありがたいことだと思いました。誰に教わったわけでもないのに、体が自分で答えを出している。おそらく、これが自然なのでしょう。
そこまで考えて、はたと気づきました。
私は今月、同じことを何度も書いてきたのです。
大谷選手の休養について書いた最初の稿で、こう記しました。左膝を庇えば骨盤の回転が変わり、そのずれが右腕や首へ連鎖する可能性がある、と。
その後、報じられたところによれば、膝の炎症を抑える注射を打ちながら出場を続け、膝を庇うことで手打ちになり、首の周辺まで痛めたとのことでした。
私が書いたのは、報道を読んで考えたことです。自分の体で分かっていたわけではありません。
ところが今、その庇う動きを、私自身がやっている。
都心を歩きながら、痛くないことを喜んでいました。けれど、痛くないのは治ったからではありません。痛まない歩き方をしているからです。 その間、左足には普段の倍の仕事が回っています。腰にも、背中にも、どこかへ負荷が行っているはずです。
庇うという働きには、二つの顔があるのだと思います。
一つは、守るという顔です。 痛いところに体重を乗せない。これがなければ、人は悪化するまで同じ動きを続けてしまいます。体が勝手に守ってくれる。ありがたい仕組みです。
もう一つは、隠すという顔です。 庇えば痛みが出なくなります。すると、痛いという合図そのものが消える。問題が続いているのに、知らせが来なくなる。
私が昨日、普通に歩けてしまったのは、二つ目のほうが働いていたからでしょう。
そして厄介なのは、本人が庇っていることに気づいていないという点です。意識していないのですから、やめようもありません。
ここで、同じだろうと書きたくなります。
けれど、書きません。
あの方は世界最高の打者で、私は七十三の年寄りです。負荷の大きさも、体の作りも、比べようがありません。同じかどうかは、分からない。
ただ、一つだけ言えることがあります。
庇うという働きは、誰の体にも備わっています。そして、庇っていることは本人には分かりません。 世界一の選手であろうと、そこは同じはずです。
むしろ、鍛えた人ほど庇う力が強いのではないでしょうか。私が歩けてしまった程度のことなら、あの方は試合に出られてしまう。庇う力が強いというのは、限界が見えにくいということでもあります。
昨日の私に必要だったのは、たぶん助言ではありません。
痛みますか、と聞かれれば、歩けるので大丈夫です、と答えたでしょう。本当にそう思っていたのですから。
必要だったのは、私の歩き方を横から見てくれる人だったのだと思います。
右足の着き方がおかしいですよ、と言ってくれる誰か。自分では見えないのです。歩いている本人には、自分の姿は映りません。
休めと繰り返し書いてきたのは、結局このことだったのだと、今になって思います。本人は本当に大丈夫だと思っているのです。 嘘をついているのでも、我慢しているのでもない。体が上手に庇ってしまうから、大丈夫に感じられる。
今日は、少し歩き方に気をつけてみます。
と書きましたが、意識した歩き方が正しいとも限りません。庇うのをやめたら、今度は痛いところに体重が乗ります。それが良いのかどうかも、素人には分かりません。
ですから、一度きちんと診てもらおうと思います。
七十三にもなって、雨の中で草刈りをしたのがいけなかったのかもしれません。それはそれとして、山の草は伸びるのです。誰かが刈らなければなりません。
ただ、膝のほうは、少し様子を見ようと思います。
人には休めと書いておいて、自分が休まないのでは、話になりませんので。