戦争は、軍と軍の戦いだけではない。
講演の冒頭で、松原先生はそう切り出されました。
安全保障は経済があって初めて成り立つ。経済を支えるのは国民であり、民間企業であり、その中に重要インフラ企業が含まれる。たとえ戦争になっても、逃げられなかった人たちの生活を支えるために、ごく普通の会社が危険地域に留まって、電気と水とガスと通信を届け続けなければならない。
そして、その重要インフラは容赦なく攻撃され続けている。ということは、修理と復旧も危険地域でやらなければならない、と。
講演では、数字がいくつも示されました。書き留めておきます。
そして、人の数です。
千二十九人。
これは兵士の数ではありません。鉄道の会社で働いていた、ごく普通の人たちの数です。
数字より、私の胸に残ったのは具体の話でした。
昨年のウクライナは、ここ数十年で最も厳しい冬だったそうです。氷点下二十度を下回る日が続き、市内でも十八時間の停電があった。
その中で、電力会社の技術者たちは修理に出ていきました。あまりに寒くて体が麻痺してしまうので、少し動いては休んで体を温め、また動く。 それを繰り返しながらの作業だったといいます。
そして、こういう話も紹介されました。
繰り返される停電と寒さにうんざりした住民が、修理に駆けつけた社員に「仕事が遅い」と怒鳴りつけることが多かった。一生懸命直そうとして来ているのに感謝の言葉がない、と業界の人がこぼしていた、と。
私はこの話に、かえって現実味を感じました。美談ばかりではないのです。 人は寒くてつらければ、助けに来た人にも当たる。それでも技術者たちは、翌日もまた出ていく。
火力発電所では、空襲警報が鳴っても全員が退避できません。最後まで火力の調整をしなければならないからです。
DTEKという会社では、必ず最後まで二人を制御室に残すと決めているそうです。
しかし制御室にもミサイルやドローンが着弾することがある。そのとき身を守るのが鉄のヘルメットと防弾チョッキだけでは、あまりに気の毒だ。
そこでこの会社は、制御室の中に鉄のカプセル型のシェルターを作り、その周りに土嚢を積み上げました。
講演の資料に、その写真がありました。
ただし、と松原先生は付け加えられました。このシェルターは破片くらいなら防いでくれるが、直撃すればひとたまりもない。
それでも、二人は毎日そこへ入るのです。
危険地域で作業をする企業は、作業前に必ず軍の許可を取らなければなりません。
戦争の早い時期には、軍や非常事態庁の職員が技術者に同行し、地雷がないか確認して、あれば除去していたそうです。
ところが最近は、そうした報道を見なくなった。松原先生が昨年十月にウクライナ政府の方に直接尋ねたところ、苦笑いしてこう答えられたそうです。
そして、こういう事例も紹介されました。
ある企業が修理のために軍へ確認を求め、軍が立ち入ってよいと許可を出した。ところがそこで作業していた社員たちが、埋まっていた地雷を踏んで死傷した。企業は激怒し、調査委員会を立ち上げた、と。
それでも、修理と復旧は今も続いています。
軍も企業も、危険があると分かったうえで、立ち入りを決めているということです。
通信の話も印象に残りました。
大統領が、どんなに停電が長引いても携帯電話のサービスは止めるな、という規制を出したそうです。国民の多くが避難している状況では、固定回線より携帯の重要性が増すからです。
ところが、停電対策の費用は通信会社が負担しなければなりません。戦争で経済は落ち込み、人口も減っている中でです。
基地局の近くに発電機を置き、燃料も置く。しかし一か所に大量の燃料を置いて直撃されれば、火災が大きくなる。ならばバッテリーを、と切り替えれば、今度は保守の会社が変わり、若者が前線へ行っているため地方では作業員の確保が難しい。
そして、こういう報道があったそうです。
私はこの一節を聞いたとき、思わず前のめりになりました。
この話は、次の稿で改めて書きます。
占領された地域の話もありました。
ロシア軍は占領すると、まず通信のロシア化を行うそうです。情報の出入りを握るためです。その作業は自動ではできないので、現地の通信事業者にやらせる。抵抗した社員は拘束され、拷問を受け、結局は屈服させられたといいます。
ブチャで虐殺された人々の中にも、通信事業者の技術者が含まれていました。
そして、ブチャを含む一部の地域は、その後ウクライナ軍が奪還しました。
奪還するとき、最初に入るのは軍です。
では、その次に入っていったのは誰か。
なぜか。松原先生は、こう説明されました。
つなぎ続けるのが、自分たちの職務だからです。
講演の最後に、松原先生はこういう話をされました。
日本の国防を論じるとき、よく引かれる統計があります。世界の主要国で「有事になったら戦いますか」と問われて「はい」と答える国民の割合が、日本は最も低いという数字です。
これを見て、日本人は覚悟がないと嘆く人がいます。私も、そう言われるたびに落ち着かない気持ちになってきました。
けれど松原先生は、別の見方を示されました。
もちろん銃を手に取るのも戦いである。しかしウクライナの重要インフラ企業の人たちは、必ずしも武器を手に取って戦っているわけではない。
どんな状況下でもつなぎ続けるという職務を全うし、地元住民の生活と経済を支え、ひいては国防を支えている。
自衛隊には自衛隊の役割があり、国民は国民で自分にできることをする。それが戦いの定義ではないか、と。
そして、こう結ばれました。自分たちが経済を、他の人々を、この国を支え続けるのだという当事者意識を持つこと。それが日本の強みである和を高め、抑止力に、ひいては国防力につながる、と。
講演を聞きながら、私はずっと同じことを考えていました。
日本人が「戦いますか」と問われて言葉に詰まるのは、あの問いが銃を持つことだけを指していると受け取るからではないか。
けれど、もし問いがこうだったらどうでしょう。
あなたが任されている場所を、最後まで守りますか。
そう聞かれたとき、はいと答える日本人は、決して少なくないと思うのです。
停電の夜に電柱へ登る人。台風のあとに線路を直す人。地震のあとに水道を通す人。私たちはそういう人たちを、これまで何度も見てきました。
ウクライナで起きているのは、その延長線上にあることなのだと思います。違うのは、直しに行った先で撃たれるかもしれない、という一点だけです。
次の稿では、この話から私が考えたことを書きます。現場へ降りていく人について、です。