おてんとうさまの下で記録 / 本文

つなぎ続けること

――有事の備えについて(一)
2026年9月21日論考防衛・安全保障

本稿について
令和八年九月五日、一般社団法人東京郷友連盟が開催した講演会「ウクライナ・中東・アジア情勢から学ぶ日本の有事への備え」の内容に基づいています。講師はNTT株式会社サイバーセキュリティ・ストラテジストの松原実穂子先生。以下、講演で示された事実と、それを聞いた私自身の受け取り方を分けて記します。

戦争は、軍と軍の戦いだけではない。

講演の冒頭で、松原先生はそう切り出されました。

安全保障は経済があって初めて成り立つ。経済を支えるのは国民であり、民間企業であり、その中に重要インフラ企業が含まれる。たとえ戦争になっても、逃げられなかった人たちの生活を支えるために、ごく普通の会社が危険地域に留まって、電気と水とガスと通信を届け続けなければならない。

そして、その重要インフラは容赦なく攻撃され続けている。ということは、修理と復旧も危険地域でやらなければならない、と。

一、数字が示すもの

講演では、数字がいくつも示されました。書き留めておきます。

ウクライナの重要インフラが受けた被害
昨年十二月の時点で、想定される修理の総額はウクライナの国内総生産の三倍に相当。
電力・エネルギー業界だけで、国内総生産の十三パーセント以上に相当する被害。
昨年一年間で、エネルギー施設へのミサイル・ドローン攻撃は六百十二回。一日に二回近い計算になる。
戦争開始から二年余りの時点で、火力発電能力の九割、水力発電能力の四十五パーセントを喪失。

そして、人の数です。

働き続ける人たちの犠牲
昨年一年だけで、重要インフラ企業の殉職者は二百人以上。負傷者も百人以上。
最大の民間電力会社DTEKでは、今年六月五日までに社員四百四十四人が殺害された。
ウクライナ鉄道は一社だけで、今年二月の時点で千二十九人が殺害され、三千人近くが負傷。
郵政公社は四十五人、宅配サービスは二百四十九人が殺害されている。

千二十九人。

これは兵士の数ではありません。鉄道の会社で働いていた、ごく普通の人たちの数です。

二、凍える中で、直す

数字より、私の胸に残ったのは具体の話でした。

昨年のウクライナは、ここ数十年で最も厳しい冬だったそうです。氷点下二十度を下回る日が続き、市内でも十八時間の停電があった。

その中で、電力会社の技術者たちは修理に出ていきました。あまりに寒くて体が麻痺してしまうので、少し動いては休んで体を温め、また動く。 それを繰り返しながらの作業だったといいます。

そして、こういう話も紹介されました。

繰り返される停電と寒さにうんざりした住民が、修理に駆けつけた社員に「仕事が遅い」と怒鳴りつけることが多かった。一生懸命直そうとして来ているのに感謝の言葉がない、と業界の人がこぼしていた、と。

私はこの話に、かえって現実味を感じました。美談ばかりではないのです。 人は寒くてつらければ、助けに来た人にも当たる。それでも技術者たちは、翌日もまた出ていく。

三、鉄のカプセル

火力発電所では、空襲警報が鳴っても全員が退避できません。最後まで火力の調整をしなければならないからです。

DTEKという会社では、必ず最後まで二人を制御室に残すと決めているそうです。

しかし制御室にもミサイルやドローンが着弾することがある。そのとき身を守るのが鉄のヘルメットと防弾チョッキだけでは、あまりに気の毒だ。

そこでこの会社は、制御室の中に鉄のカプセル型のシェルターを作り、その周りに土嚢を積み上げました。

講演の資料に、その写真がありました。

ただし、と松原先生は付け加えられました。このシェルターは破片くらいなら防いでくれるが、直撃すればひとたまりもない。

それでも、二人は毎日そこへ入るのです。

四、地雷と、軍の許可

危険地域で作業をする企業は、作業前に必ず軍の許可を取らなければなりません。

戦争の早い時期には、軍や非常事態庁の職員が技術者に同行し、地雷がないか確認して、あれば除去していたそうです。

ところが最近は、そうした報道を見なくなった。松原先生が昨年十月にウクライナ政府の方に直接尋ねたところ、苦笑いしてこう答えられたそうです。

最近はあまりやっていない。なぜかというと、軍は忙しいから。

そして、こういう事例も紹介されました。

ある企業が修理のために軍へ確認を求め、軍が立ち入ってよいと許可を出した。ところがそこで作業していた社員たちが、埋まっていた地雷を踏んで死傷した。企業は激怒し、調査委員会を立ち上げた、と。

それでも、修理と復旧は今も続いています。

軍も企業も、危険があると分かったうえで、立ち入りを決めているということです。

五、社長が、燃料を運ぶ

通信の話も印象に残りました。

大統領が、どんなに停電が長引いても携帯電話のサービスは止めるな、という規制を出したそうです。国民の多くが避難している状況では、固定回線より携帯の重要性が増すからです。

ところが、停電対策の費用は通信会社が負担しなければなりません。戦争で経済は落ち込み、人口も減っている中でです。

基地局の近くに発電機を置き、燃料も置く。しかし一か所に大量の燃料を置いて直撃されれば、火災が大きくなる。ならばバッテリーを、と切り替えれば、今度は保守の会社が変わり、若者が前線へ行っているため地方では作業員の確保が難しい。

そして、こういう報道があったそうです。

人手が足りず、社長自らドラム缶を担いで、雪深いところにある基地局へ燃料を運びに行った。

私はこの一節を聞いたとき、思わず前のめりになりました。

この話は、次の稿で改めて書きます。

六、軍の後から、入っていく人たち

占領された地域の話もありました。

ロシア軍は占領すると、まず通信のロシア化を行うそうです。情報の出入りを握るためです。その作業は自動ではできないので、現地の通信事業者にやらせる。抵抗した社員は拘束され、拷問を受け、結局は屈服させられたといいます。

ブチャで虐殺された人々の中にも、通信事業者の技術者が含まれていました。

そして、ブチャを含む一部の地域は、その後ウクライナ軍が奪還しました。

奪還するとき、最初に入るのは軍です。

では、その次に入っていったのは誰か。

銀行の行員であり、通信事業者であり、電力会社の社員たちでした。

なぜか。松原先生は、こう説明されました。

つなぎ続けるのが、自分たちの職務だからです。

七、「戦う」とは何か

講演の最後に、松原先生はこういう話をされました。

日本の国防を論じるとき、よく引かれる統計があります。世界の主要国で「有事になったら戦いますか」と問われて「はい」と答える国民の割合が、日本は最も低いという数字です。

これを見て、日本人は覚悟がないと嘆く人がいます。私も、そう言われるたびに落ち着かない気持ちになってきました。

けれど松原先生は、別の見方を示されました。

「戦う」の定義が、他の国と日本では違うのではないか。

もちろん銃を手に取るのも戦いである。しかしウクライナの重要インフラ企業の人たちは、必ずしも武器を手に取って戦っているわけではない。

どんな状況下でもつなぎ続けるという職務を全うし、地元住民の生活と経済を支え、ひいては国防を支えている。

自衛隊には自衛隊の役割があり、国民は国民で自分にできることをする。それが戦いの定義ではないか、と。

そして、こう結ばれました。自分たちが経済を、他の人々を、この国を支え続けるのだという当事者意識を持つこと。それが日本の強みである和を高め、抑止力に、ひいては国防力につながる、と。

結び

講演を聞きながら、私はずっと同じことを考えていました。

日本人が「戦いますか」と問われて言葉に詰まるのは、あの問いが銃を持つことだけを指していると受け取るからではないか。

けれど、もし問いがこうだったらどうでしょう。

あなたが任されている場所を、最後まで守りますか。

そう聞かれたとき、はいと答える日本人は、決して少なくないと思うのです。

停電の夜に電柱へ登る人。台風のあとに線路を直す人。地震のあとに水道を通す人。私たちはそういう人たちを、これまで何度も見てきました。

ウクライナで起きているのは、その延長線上にあることなのだと思います。違うのは、直しに行った先で撃たれるかもしれない、という一点だけです。

次の稿では、この話から私が考えたことを書きます。現場へ降りていく人について、です。

※本稿は、令和八年九月五日に一般社団法人東京郷友連盟が開催した松原実穂子先生の講演の内容に基づいています。数値および事例は講演で示されたものです。第七節の見方は松原先生のご発言の趣旨をまとめたもの、結びは制作者個人の受け取り方です。
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