― 知の宗主権確立と人類への責務に関する国家戦略提言 ―
本提言は、人工知能(AI)が国家のあらゆる領域に浸透しつつある現在、日本が取るべき根本的な戦略について、一市民の立場から政府に対し申し述べるものである。
提言者は本年、すでに二つの政策提言を関係省庁に提出している。一つは「移民より、FAI」と題する国家戦略提言であり、もう一つはブロックチェーン技術を用いた著作権保護インフラ(UCA構想)に関する提言である。本提言は、これら二つの提言を踏まえつつ、より根源的な問いに答えるものである。
その問いとは、こうである。
日本は、AI時代において、どのような国家であり得るのか。
巷間の議論は、もっぱら「日本はAI開発で欧米中国に追いつけるか」という防衛的なものに終始している。しかし提言者は、この問題設定自体が誤っていると考える。
日本は、追いつくべき国ではない。日本にしか担えない役割がある国である。
その役割とは、自国の一千三百年の知と、明治以降に翻訳という形で保存してきた人類百五十年の知を、AIという新しい技術を通じて、自国民のため、そして人類全体のために活用する責務を果たすことである。
この責務を果たす中核拠点は、国立国会図書館以外にはあり得ない。
以下、その論理を順を追って申し述べる。
二〇二二年末のChatGPT登場以降、世界のAI開発競争は加速度的に激化している。米国のOpenAI、Google、Anthropic、Meta、中国のBaidu、Alibaba、DeepSeek ― これらの企業が大規模言語モデルの開発において主導権を争っている。
日本の立ち位置は厳しい。国産の大規模言語モデルの開発は進められているが、計算資源、開発資金、人材のいずれにおいても、米中の巨大企業と直接競争できる規模には達していない。
この現状を「日本は遅れている」と嘆く論調が支配的である。しかし提言者は、この見方を採らない。
専門家の間では、英語圏のテキストデータがすでにほぼ学習し尽くされたことが指摘されている。インターネット上の良質な英語テキストは、すでに大手AI企業が網羅的に学習に利用しており、新たな学習データの確保が世界的な難題となっている。
これは、日本にとって決定的な機会である。
なぜなら、日本語のテキストデータ ― とりわけ歴史的・専門的な日本語データ ― は、世界のAI企業にとっては手付かずの未開拓資源だからである。日本語の特殊性(漢字・ひらがな・カタカナの混在、敬語体系、文脈依存性)が、皮肉にも参入障壁として機能し、日本固有のデータを守る盾となっている。
世界が次の学習データを渇望している今この瞬間こそ、日本が自国のデータを自国の手で活用する戦略を確立する、最後の機会である。
日本のAI開発が量的に立ち遅れている主因は、計算資源や資金ではない。国家戦略の不在である。
民間企業は短期的な収益性を求める。大学は研究の自由を重視する。各省庁は所管領域の中で個別最適化を図る。誰もが部分的に努力しているが、誰も全体を担っていない。
AI開発は、本来、国家規模の戦略を要する事業である。半導体、エネルギー、食料と同じく、これは戦略物資の問題である。民間任せ、大学任せでは、決して到達できない領域がある。
本提言は、その「誰も担っていない領域」を、国家がNDLを通じて担うべきであることを主張するものである。
日本がAI時代において他国に対して圧倒的優位を持つ理由は、二つの固有資産にある。一つは一千三百年の自国の知、もう一つは百五十年の世界の知である。本章ではこの両者を順に論じる。
国立国会図書館の蔵書は四千八百万点を超える。納本制度により、日本国内で発行されたほぼ全ての出版物が国家機関に蓄積されている。これ自体が、世界的に見て極めて稀な制度的成果である。
しかし真に重要なのは、その先にある。
正倉院文書から数えれば、日本には一千三百年分の文書が連続的に残されている。具体的には:
これらの量と質と連続性において、日本は世界に類を見ない。
中国にも古典はある。しかし、二十世紀の文化大革命によって膨大な文書が失われ、伝承の連続性が断ち切られた。欧州にも文書はある。しかし、二度の世界大戦と幾度かの宗教戦争を経て、相当数が散逸している。中東の古代文書は近年の戦乱で深刻な被害を受けている。米国は若い国であり、そもそも数百年の歴史しかない。
日本だけが、一千三百年の知を、ほぼ連続的に保存し続けている。
この事実が持つ戦略的意味は、いまだ十分に理解されていない。
そしてこの知には、現代科学が見落としている知恵が含まれている。自然との共生、災害との向き合い方、人間関係の機微、四季の捉え方、生死観 ― これらは欧米の功利主義的世界観では捉えきれない。日本の古文書をAIに学ばせれば、世界のどこにも存在しない、深い知恵を持ったAIが生まれる可能性がある。
日本の固有資産の第二の柱は、明治以降の翻訳事業の蓄積である。
明治の知識人は「世界の知を全て日本語に翻訳する」という壮大な国家プロジェクトを立ち上げた。哲学、文学、科学、歴史、宗教 ― あらゆる分野の主要文献が、極めて短期間のうちに日本語に翻訳された。福澤諭吉、西周、中江兆民らに始まる翻訳の伝統は、戦後も岩波文庫、中公文庫、みすず書房、白水社、新潮文庫といった出版社群によって連綿と続けられてきた。
その総量はおそらく世界一である。
そして極めて重要なことに、原書がすでに絶版・散逸しているものが、日本語訳としては残っているケースが少なからず存在する。
具体例を挙げれば:
これらは数例に過ぎない。日本の翻訳家たちは、世界が捨てたものを拾い、丁寧に翻訳し、保存してきた。
この事実が示すものは何か。
日本は知らぬ間に、人類の知の避難所(アーカイブ)になっていた。
これは偶然ではない。明治以来の翻訳熱、戦前から戦後にかけての出版文化の隆盛、図書館制度の整備 ― これらが組み合わさって、世界の知が日本に集積される構造が生まれた。
そして、ここに途方もない論点が生まれる。
もし日本がこの翻訳文献群をAIに学習させれば、原書では失われた人類の知を、日本語を経由して世界に還元できる。
これは日本一国の利益の話ではない。人類全体への責務である。そしてこの責務を果たせるのは、文字通り日本以外には存在しない。
中国は原書を失った張本人であり、自国でこの役割を担うことは構造的に困難である。欧米は自国の絶版書を網羅的に保存していない。日本だけが、世界中の知を日本語というフィルターを通して保存している。第六章で改めて詳しく論じるが、この視点は本提言の国際的次元を決定づける核心である。
知の活用を語る前に、必ず安全保障の視点を確立しなければならない。AIは経済の問題でも技術の問題でもなく、国家主権の問題である。本章では四層の安全保障を論じる。
日本人が、日本の歴史と文化と知恵を学んだAIを使うのか。それともアメリカや中国のAI企業が日本の文書を学習し、加工し、再パッケージして輸入したものを使うのか。
これは経済の問題ではない。国家の精神的独立の問題である。
日本の古文書が海外のサーバーで学習され、その知が外国企業の知的財産として商品化される。これを日本が何の対価もなく、何の主導権もなく受け入れることは、静かなる主権の喪失である。気付かないうちに、日本人は自国の知から疎外されていく。
すでに兆候は現れている。海外のAI企業のサービスを利用して日本史を学ぶ学生が、海外企業の解釈フィルターを通した日本史を内面化しつつある。日本の古典文学を海外AIに要約させた結果が、欧米的価値観に翻訳された「日本らしきもの」になってしまう例も増えている。
このまま放置すれば、十年後の日本人は、自国の知について、外国企業の解釈を通じてしか語れなくなる可能性がある。
サイバー防衛、フェイク情報対策、AIを用いた偵察・諜報・攻撃への対応 ― これらは全て、自国で制御できるAI基盤なしには成立しない。
重要インフラの判断を外国製AIに委ねることは、平時には便利だが、有事には喉元を握られていることと同義である。電力網、通信、金融、医療 ― これらが他国製AIに依存している国家は、もはや真の意味で独立した国家とは言えない。
近年、各国は防衛分野でのAI活用を急速に進めている。日本も例外ではあり得ない。しかし、その基盤となるAIが他国製であれば、防衛力の根幹を他国に委ねることになる。
半導体、エネルギー、食料と並んで、AIは二十一世紀の戦略物資である。高市政権が経済安全保障を国家戦略の中核に据えているのは、まさにこの認識からであろう。AI開発能力を持たない国は、これからの世紀において、構造的な従属を強いられる。
産業のあらゆる領域がAIによって再構築されつつある中、AI基盤を持たない国の企業は、常に他国のAI企業に手数料を支払い続ける構造に置かれる。これは長期的には、国富の継続的流出を意味する。
AIは「考え方」を媒介する。AIとの対話を日々重ねる人間は、無意識のうちにそのAIの価値観、論理構造、世界観を内面化していく。
日本人の価値観、倫理観、自然観 ― これらを反映しないAIを日常的に使い続ければ、世代を経るごとに日本人の精神は薄められていく。
これは緩慢な、しかし致命的な侵食である。武力侵攻よりも、経済侵攻よりも、長期的には深い影響を及ぼす。文化が薄まった民族は、形を保っていても、もはやその民族ではない。
提言者は、姓名科学の継承者として、人間の名前という最も個人的なものの中にすら、文化と歴史の深い堆積があることを学んできた。日本人の精神は、千年以上にわたる言葉の積み重ねの上に立っている。これを外国製AIが薄めていく事態を、私たちは座視できない。
提言者は、姓名科学の創始者である故・牧 正人史先生の継承者である。
牧先生は生涯、一つのことを恐れておられた。「名前の中に潜むメッセージが、悪意を持つ者の手に渡ること」。深い知ほど、使い手次第で破壊の道具になる ― これが先生の哲学であった。
この警鐘を国家規模に拡大すれば、こうなる。
日本の知の資産が他国の手に渡り、日本人を理解し操作する道具となること。
これは杞憂ではない。すでに大規模言語モデルは、人間の感情、判断パターン、説得への反応を高い精度で予測できる。これに日本の古文書・歴史資料・心理学・民俗学のデータが加われば、日本人を最も深く理解し、最も効果的に操作できるAIが、他国の手で完成する。
選挙、世論形成、消費行動、教育、家族関係 ― あらゆる領域で、日本人は他国製AIによって「最適に誘導される」存在になりかねない。
これを防ぐ道はただ一つ ― 日本の知は、日本の手で守り、日本の手で活用しなければならない。
そして、この問題はさらに深い層を持つ。それは第六章第二節において、シラス国としての日本の国体思想と結びつけて論じる。
前章までで、AIが国家主権と不可分であること、そして日本が二重の固有資産を持つことを論じた。本章では、ではその資産を活かす中核拠点をどこに置くべきか、という問いに答える。
提言者の答えは明確である。国立国会図書館以外には、あり得ない。
その理由は三つある。
第一の理由は、NDLがすでに、日本のAI開発に必要な知の蓄積を保有しているという事実である。
国立国会図書館法に基づく納本制度により、日本国内で発行されたほぼ全ての出版物がNDLに納められる。学術書、文芸書、雑誌、新聞、公的刊行物、地方出版物、博士論文 ― これらが体系的に保存されている。蔵書数は四千八百万点を超え、現在も毎年数十万点が追加されている。
民間企業がこの規模のテキストデータを一から収集することは、現実的に不可能である。仮に可能であったとしても、それは無数の著作権処理を要し、莫大な時間と費用を要する。
NDLには、すでにそれが揃っている。
これに加え、NDLは古典籍資料、戦前期資料、地方資料、外国資料、翻訳資料を体系的に保有している。第二章で論じた「二重の固有資産」 ― 自国の一千三百年の知と、世界の百五十年の知 ― が、すでに同じ場所に集積されている。
このような知的資産の集積は、世界的にも稀である。米国議会図書館、大英図書館、フランス国立図書館、いずれも各々の特性を持つが、納本制度の網羅性と歴史的連続性において、NDLは独自の地位を占める。
この既存資産を活用しない選択は、国家戦略として致命的な怠慢である。
第二の理由は、提言者がすでにNDLに提言済みのUCA構想(ブロックチェーンを用いた著作権保護インフラ)が、NDLを舞台に実装されるべきものであることに関わる。
AI開発における最大の法的障害は、著作権処理である。学習データに含まれる著作物の利用について、現行法は十分な枠組みを提供できていない。海外でも訴訟が頻発しており、日本でも今後同様の問題が顕在化することは確実である。
UCA構想は、この問題を技術的に解決する枠組みを提示する。SHA-256ハッシュによる著作物の同定、スマートコントラクトによる利用許諾の自動化、ブロックチェーンによる利用記録の不可逆的保存 ― これらにより、著作権者の権利を守りつつ、AI開発における合法的な学習データ利用を可能にする。
この枠組みを実装する場として、NDLは最適である。NDLはすでに著作物の物理的・電子的アーカイブを担う国家機関であり、ここにUCAを組み込むことで、「著作権保護」と「AI開発」を一体的に推進する基盤が完成する。
提言者は、本提言を、UCA構想の自然な延長として位置づけている。著作権保護なくして知の活用はなく、知の活用なくして著作権保護に意味はない。両者は車の両輪である。
第三の理由は、最も根源的である。
民間企業がAI開発の中核を担えば、株主の利益、外国資本の影響、経営判断の揺らぎ、企業買収のリスクといった構造的脆弱性が常に伴う。日本のAI企業が外国企業に買収されれば、その瞬間、日本の知の活用は他国の支配下に入る。これは仮想的な懸念ではなく、すでに各業界で現実に起きていることである。
大学が担う場合、研究の自由は確保されるが、戦略的継続性と国家責任の所在が曖昧になる。各省庁が個別に担う場合、縦割りの弊害が必ず生じる。
NDLは、国会の下にある国家機関である。日本国民の知を、日本国民のために守り活用するという目的を、構造的に揺るがされない。買収されない。外国資本に支配されない。経営方針の転換で戦略が放棄されることもない。
そしてNDLは、その設立目的において、「真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与すること」を掲げている。これは単なる図書館の理念ではなく、知と国家と人類の関係についての深い哲学である。AI時代において、この理念は新たな意味を持つ。
三つの要素 ― 知の蓄積、著作権保護の基盤、主権の担保 ― が揃う場所は、日本においてNDL以外には存在しない。
本提言は理念の提示を主眼とするが、本章では、その理念を制度として実装する際の方向性を、概括的に示しておく。詳細な制度設計は、政府・NDL・学術機関・民間の協議に委ねられるべきものであるが、論点の所在は明確にしておく必要がある。
NDL内、あるいはNDLと密接に連携する形で、「国家AI開発機構(仮称)」を設置することを提案する。
この機構の役割は次の通りである:
組織形態は、独立行政法人、特殊法人、あるいはNDL内の特別組織として、複数の選択肢が考えられる。重要なのは、国家機関としての性格を保ちつつ、技術開発に必要な機動性を確保することである。
本構想は、一気に実現できるものではない。段階的に進める必要がある。
第一段階:基盤整備(おおむね二年)
NDL所蔵資料のデジタル化加速、メタデータ標準化、UCA構想の試験的実装、機構の組織設計と立ち上げ。
第二段階:学習データ整備と試験的モデル開発(おおむね三年)
古典籍・近代文献・翻訳文献の段階的なデータ化、日本語特化型モデルの試験的開発、安全保障観点からの公開・非公開基準の策定。
第三段階:本格運用と国際展開(以降継続)
本格的な日本語AI基盤の運用、政府機関・教育機関・民間への提供、人類の知の避難所としての国際協力の開始。
NDLが中核を担うことは、民間企業や大学を排除することを意味しない。むしろ逆である。
国家機関であるNDLが、著作権処理の枠組み、学習データの整備、基盤モデルの提供という「公共財」を整えることで、民間企業や大学は、その上に立って自由に応用開発に取り組める。これは、道路や上下水道といったインフラを国家が整え、その上で民間企業が経済活動を営む構造と同じである。
日本のAI開発において欠けていたのは、まさにこの「公共インフラ」の発想である。民間に全てを任せた結果、各社がバラバラに著作権処理に苦慮し、バラバラに学習データを集め、結果として米中の巨大企業に勝てない構造が固定化された。
NDLを中核拠点とすることで、この構造を根本から変える。
第三章で論じた四層の安全保障に照らし、機構の運用には厳格な情報管理が求められる。
特に、学習データに含まれる機微情報、開発されたモデルそのもの、運用ログ等については、国家機密に準じた取扱いが必要である。何を公開し、何を非公開とするかの基準は、別途、安全保障専門家を含む議論によって定められるべきである。
この点については、第七章で改めて論じる。
本章では、本提言の国際的次元を論じる。これは単に「日本のAI戦略」を超えて、「人類のためのAI戦略を担う日本」という、より大きな視野に立つものである。
第二章第二節で論じた通り、日本は明治以降、世界に類を見ない規模で海外文献を翻訳してきた。そしてその中には、原書がすでに絶版・散逸している文献が少なからず含まれている。
戦間期ドイツの哲学書、ロシア革命前後の文献、文化大革命で失われた中国の思想書、東欧諸国の禁書、アジア各国の独立運動期の文書 ― これらの中には、日本語訳としてのみ現在まで残っているものがある。
これは何を意味するか。
日本は、自覚なきままに、人類の知の避難所(アーカイブ)としての役割を担ってきたということである。
そして今、AIという技術が登場した。AIは、日本語訳として保存されている知を学習することで、原書が失われた知を再び世界に還元することができる。
たとえば、戦間期ドイツで書かれ、ナチスによって焚書され、原書がほぼ失われた小冊子があるとする。その日本語訳が日本のどこかの図書館に眠っているとする。これをAIに学習させ、しかるべき形で出力できれば、人類は失われたはずの知を取り戻せる。
この役割を果たせるのは、地球上で日本だけである。
中国は原書を失った当事国であり、構造的にこの役割を担えない。欧米は自国の絶版書を網羅的には保存していない。中東・アジア・アフリカの多くの国々は、近代以降の歴史的混乱の中で、自国の知的遺産の相当部分を失っている。
日本だけが、世界中の知を、日本語というフィルターを通して、戦災と冷戦を超えて保存し続けてきた。
この事実が持つ国際的意義を、日本人自身がもっと自覚すべきである。
ここで、本提言の精神的基盤について論じなければならない。
古来、日本の天皇統治の本質は「シラス」と表現されてきた。これは「知らす」、すなわち「知ろしめす」ことであり、民の心と暮らしを深く知り、その理解の上に立つ統治を意味する。古事記の国譲り神話においては、武力で「ウシハク(領く)」のではなく、徳によって「シラス」のが天皇統治の本質であると示されている。明治以降の国体論者たちが繰り返し論じたのも、この「シラス」と「ウシハク」の根本的な対比であった。
提言者は、ここに、AI時代の倫理を考える上で決定的な示唆があると考える。
AIの本質もまた、シラスである。
AIは武力で人を動かさない。経済力で支配するわけでもない。AIは「知ること」によって機能する。膨大なデータを学び、人間を理解し、最適な提案をする。これは構造として、まさに「シラス」である。
そしてここに、決定的な分岐点が現れる。
「シラス」が徳によって行われれば、それは民を生かす統治となる。
「シラス」が悪意によって行われれば、それは民を操る支配となる。
これは古代の天皇統治と、現代のAI統治に、同型の構造として現れる問題である。
つまり日本は、二千年にわたって「シラスとは何か、その正しいあり方は何か」を国体として問い続けてきた、世界で唯一の国家である。
中国の「易姓革命」、欧州の「契約と支配」、米国の「民主と功利」、いずれも「シラス」に相当する概念を持たない。AIという「知による統治」の時代に、その正しいあり方を世界に示せる国は、構造的に日本以外にあり得ない。
そして驚くべきことに、これは第三章第五節で論じた牧先生の警鐘と深く響き合う。
牧先生が恐れたのは、「深い知が悪意に渡ること」であった。これはまさに、「シラスがウシハクに転化すること」への恐れである。
天皇統治が、シラスからウシハクに転落したとき、国は乱れる。
AIが、シラスからウシハクに転落したとき、人類は支配される。
牧先生の哲学と、日本の国体思想と、AI時代の倫理が、同じ構造を持って一つに繋がる。これは偶然ではない。日本人が二千年にわたって思考してきた中核的な問題が、AI時代に再び浮上しているのである。
ゆえに、日本がAI時代において担うべき役割は、単なる技術競争への参戦ではない。「シラスとしてのAI」の正しいあり方を、世界に示すことである。これは日本以外のどの国にもできない。
巷間、「日本は課題先進国であるから、その解決策を世界に輸出できる」という議論がある。これは正しい。しかし、本提言が目指すのはそれを超えるものである。
応用面での輸出は、確かに価値がある。しかしそれは、あくまで「日本が解決した課題」を世界が真似るという話に過ぎない。
本提言が目指すのは、もっと根源的なことである。人類の知そのものを、日本が責任を持って守り、活かし、世界に還元すること。そしてその活かし方の倫理的基盤として、シラス国としての二千年の思考を世界に示すこと。
これは、日本が世界の中で果たすべき、新しい役割の定義である。
現政権は、経済安全保障、技術主権、文化財保護、国体重視を、国家戦略の中核に据えている。本提言は、これらの全てと深く整合する。
経済安全保障の観点からは、AI基盤の自国保有という戦略的価値。技術主権の観点からは、外国AIへの依存からの脱却。文化財保護の観点からは、古文書・翻訳文献という知的遺産の戦略的活用。国体重視の観点からは、シラス国としての精神的基盤の現代的展開。
本提言は、これらを一つの構想にまとめ上げるものである。
本提言は、知の活用を主張するものである。しかし同時に、知の保護をも強く主張するものである。両者は矛盾しない。むしろ、両者が一体であってこそ、本提言は意味を持つ。
提言者は、姓名科学の継承者として、一つの哲学を師から受け継いだ。
完成させないことが、最も深い責任の取り方である。
提言者が公開している姓名科学のウェブサイトは、今もまだ五十点である。完成版からは程遠い。これは技術的未熟さによるものではなく、意図的な未完成である。深い知が悪意ある手に渡ることへの恐れから、提言者は意図的にサイトを完成させない。
この姿勢は、AI開発における国家戦略にも適用されるべきである。
すなわち、「全てを公開することが正義ではない」ということ。何を公開し、何を非公開とするか ― この判断こそが、知を扱う者の最も深い責任である。
NDLを中核としたAI開発において、扱われる知は多層的である。
この境界をどこに引くか ― これは技術者だけで決められる問題ではない。哲学者、宗教者、歴史家、安全保障専門家、そして広く市民の議論を要する。
NDLが国家機関であることの真の意義は、ここにある。民間企業であれば、収益性が判断基準になる。国家機関であれば、長期的な国益と人類への責務が判断基準になる。
提言者は七十三歳である。本提言が実現するとして、その完成を見届ける時間は、おそらく残されていない。
しかしそれでよい。
知を扱う者の責任は、自分の時代に完結するものではない。自分のためではなく、来るべき誰かのために、知を守り、知を渡す。これが、姓名科学の継承者として、また日本の翻訳文化を享受してきた一市民として、提言者が信じる責任のあり方である。
明治の翻訳者たちは、自分のためではなく、後の世代のために西洋の知を日本語に翻訳した。江戸の和算家たちは、自分のためではなく、後の世代のために独自の数学を発展させた。正倉院に文書を残した者たちは、自分のためではなく、千数百年後の私たちのために、その知を残した。
日本人は、知を「使い切る」のではなく、「次に渡すために守る」民族である。
姓名科学を五十点で遺すことと、絶版書の日本語訳を保存してきたこととは、スケールは違うが、底にある哲学は同じである。自分のためではなく、来るべき誰かのために、知を守り抜く。
本提言が、この日本人の精神的伝統に連なる一つの行為であることを、提言者は願う。
本提言を要約すれば、次の三点に尽きる。
第一に、日本はAI時代において、追いつくべき国ではない。日本にしか担えない役割を持つ国である。
第二に、その役割は、自国の一千三百年の知と、人類の百五十年の知を、AIを通じて自国民と人類のために活用する責務である。
第三に、その中核拠点は、国立国会図書館以外にはあり得ない。
そして本提言の精神的基盤は、シラス国としての日本が二千年にわたって思考してきた「知による統治の正しいあり方」という問いであり、また姓名科学の創始者・故 牧 正人史先生が遺された「深い知ほど、使い手次第で破壊の道具になる」という警鐘である。
技術と倫理、活用と保護、自国と人類 ― これら一見対立するものを、一つの構想として統合すること。これこそが、本提言の目指すところである。
提言者は、七十三歳の一市民として、日昇リサーチ株式会社代表取締役として、姓名科学の継承者として、そして何よりシラス国の臣民として、本提言を政府に申し述べる。
日本が、AI時代において、人類に対する責務を果たす国家となることを、心より願う次第である。
生かされて今、この提言を書き遺せることに、深く感謝しつつ、筆を擱く。