連 載 小 説

至誠の覚醒 SHISEI NO KAKUSEI

著 三原嘉明
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第 一 話

清流の記憶

東京・代沢。烏山川が今よりも清く流れていた頃の話だ。

下馬か代沢か、もう正確には思い出せない。ただ、小学校の低学年の頃、その辺りに女の子がいた。名前は知らない。ただ、その子のそばにいたかった。それだけだった。

記憶の中の少女は、川のそばに立っている。それ以上でも、それ以下でもない。

半世紀以上が過ぎた今も、その川の光だけは消えない。人が何かを愛するとき、それは言葉になる前に、もう始まっている。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 二 話

綱島から、世田谷へ

小学校の4年か5年の頃だった。

杉浦友子という子がいた。それ以上のことは、うまく説明できない。ただ、その子と同じ場所にいたかった。それだけだった。

引っ越しが決まった。父は東京電力に勤めていた。社宅は、横浜の綱島にあった。松下通信工業の工場の角を右に折れ、東海道新幹線の手前に立つアパートだった。

進学先は、世田谷区立富士中学校に決まっていた。

毎朝、綱島から東横線に乗った。電車は満員だった。体とカバンが引き離された。床から足が浮いた。それでも私は毎朝、渋谷へ向かい、バスに乗り換え、富士中へ向かった。一時間以上かけて。

一年間、続けた。

その一年間で、杉浦友子に一度も会うことはなかった。同じ学校にいるはずだった。それでも、廊下ですれ違うことも、同じ教室に入ることも、なかった。

ある朝、私は気づいた。会えない、ということに。

それ以上でも、それ以下でもなかった。

私は翌年、綱島の次の駅、大倉山にある大綱中学校へ転校した。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 三 話

加島敬介

大綱中学校は、迷うほど広かった。生徒数が多分3000人。一学年が、13とか15クラス。

校舎がいくつもあった。どこへ行けばいいのか、わからなかった。

その時、声をかけてくれた丸ぽちゃの可愛い生徒がいた。加島敬介という名前だった。彼は黙って私を教室まで案内した。たまたま、同じクラスだった。

後になって知ったことがある。彼の父は、ある寺を拠点とする新興宗教の教祖だった。だが、加島が中学生の頃、父はもういなかった。母が、父の代わりに教団を支えていた。

彼がそのことを話したのか、私が察したのか、もう覚えていない。ただ、彼は親切だった。それだけは確かだった。

あれから半世紀以上が経つ。数年前、私はバイクで彼を訪ねた。富士山麓にある教団の施設だった。広大な敷地に、礼拝堂があった。彼は、美男子で中学生のころとは見違えるほどの大男となった。

彼には子がいなかった。代わりに、大型犬が家族だった。笑顔が絶えなかった。

本当の宗教家は、勧誘しない。ただ、大切なことだけを、相手のことを考えて伝えようとする。加島にはそのひたむきさがあった。

私はその笑顔を見て、思った。この人は、解脱したのだ、と。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 四 話

兼田先生

兼田敏恵先生は、音楽の教師だった。同時に、私のクラスの担任だった。

クラスには、番長の子分と思われる不良が二人いた。彼らは授業をボイコットした。先生に面と向かって意地悪をした。3000人を超えるマンモス校の、14も15もあるクラスの一つで、そういうことが静かに続いていた。

兼田先生は気丈だった。

乱れても、崩れなかった。二人を、まともな道へ導こうとし続けた。

私は何もしなかった。正確には、何もできなかった。ただ、先生の側に、少しだけ気持ちを傾けていた。それだけだった。

後になって知ったことがある。兼田先生には、体育の若い男性教師との恋愛があった。二人はその後、結婚した。気丈に立っていた先生に、そういう時間が流れていたのだと、ずっと後になって思った。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 五 話

安田陽子

安田陽子はバレー部だった。

男勝りで、明るく、誰にでも好かれた。私は彼女が好きだった。それ以上のことは、うまく説明できない。

修学旅行で京都へ行った。同じ班だったのかもしれない。詳しいことは覚えていない。ただ、同じ場所にいた。その時の写真が、今も残っている。

卒業後、彼女は横浜商業高校へ進んだ。

それ以来、姿を見ていない。クラス会にも現れなかった。友人からやーさんと結婚したという噂を聞いたことがある。ただの噂だった。

忽然と、消えた。

今でも、どこかで生きていると思う。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 六 話

山田めぐみ

川和高校まで、市営バスで通った。

小机駅で降り、バスに乗る。その路線を、山田めぐみも使っていた。すらっとした、美しい同級生だった。

毎朝、同じバスに乗っていた。それだけだった。

いつ告白したのか、どこでしたのか、覚えていない。ただ、答えがNoだったことだけは、はっきり覚えている。

冬の寒い日だった。

その頃、ラジオからよく流れていた曲がある。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」だった。今でもその曲を聴くと、あの冬の空気が戻ってくる。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 七 話

鶴見川

後輩にブラスバンド部の女の子がいた。そばかすが可愛い、おさげ髪の子だった。新聞部にもいたかもしれない。名前は、もう思い出せない。

早春のことだった。鶴見川を、二人で歩いた。なぜそうなったのか、覚えていない。ただ、川沿いの道を並んで歩いた。

その時、彼女は告白した。

私は断った。山田めぐみへの失恋が、まだ胸の中にあった。それだけではなかった。私は、気持ちのない相手を自分のものにする人間ではなかった。

彼女の家まで送った。彼女が中で着替えていた。

私はそこで動かなかった。

馬鹿だと思う人もいるだろう。だが、その時の自分を、私は今も恥じていない。

彼女はその後、家の事情で岐阜へ引っ越した。

鶴見川の早春の光だけが、今も残っている。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 八 話

新聞部とJRC

新聞部の仕事は、紙面を編集して神奈川新聞社へ持ち込むことだった。活字を並べ、レイアウトを組む。その作業が好きだった。

隣の部室にJRCがあった。そこに三人の先輩がいた。

本田敏雄先輩は豪快だった。香川稔先輩はいつも腕を組み、冷静に状況を観察していた。樋口京香先輩は小柄で美人で、聡明だった。本田先輩がひそかに彼女を想っていることは、なんとなくわかった。

ある日、本田先輩の家でお酒を飲んだ。初めてだった。

赤いラベルの大瓶から、ストレートでコップに注いだ。二杯、三杯。

そこから先の記憶がない。

気づくと、畳の上に新聞紙が敷かれていた。髪の毛がバリバリに固まっていた。数日間、そこで昏睡していたらしい。

それが、私が初めてお酒を飲んだ夜だった。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 九 話

月の夜

夏合宿だった。新聞部だったか、JRCだったか、もう定かではない。

その夜、テレビの前に皆が集まった。

アポロ11号が、月面に着陸した。アームストロング船長の声が、スピーカーから流れた。

1969年の夏だった。

誰かが立ち上がった。気づくと皆でプールへ走っていた。夜中だった。水に飛び込んだ。誰かが笑っていた。誰かが叫んでいた。

月が、空にあった。人間が、その月に立っていた。

その高揚感が、何だったのか、今もうまく説明できない。ただ、あの夜の水の冷たさと、空の月だけは、今も残っている。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第 十 話

井上先生

川和高校は七期生だった。新設校の先生方は、井の中の蛙をどう覚醒させるか、それだけを考えていたように思う。

英語の井上先生は、よく煙草を吸っていた。職員室で、おいしそうに煙をくゆらせていた。

授業中、先生はこう言った。

「ONは接触だ」

それだけだった。説明はなかった。

だが、その一言で、私はONという前置詞の本質を完全に理解した。表面に触れている、乗っている、接している。すべてがその一言に収まった。

先生は早くに亡くなった。

今でも、ONという文字を見るたびに、煙草の煙と、あの声が戻ってくる。

(つづく)
◆ ◆ ◆
第十一話

大野先生と総代

倫理社会の大野先生は、私の担任だった。いつも理性的で、理詰めで授業を進めた。

卒業式の前、先生は私を呼んだ。総代として、別れの挨拶をするよう言われた。なぜ私が選ばれたのか、わからなかった。

壇上に立った。

今思えば、若く、苦い挨拶だった。私は何かに腹を立てていた。歴史が隠されている。真実が見えなくされている。そういう怒りが、言葉になりきらないまま、口から出たような気がする。自分の無知を棚に上げて、何かのせいにしていた。それに気づいたのは、ずっと後のことだった。

大野先生はまだご存命だという。

いつか訪ねてみたいと思っている。なぜ、あの時私を選んだのか。それだけを聞きたい。

(つづく)