二〇二六年九月十日、韓国のハンファオーシャン巨済造船所で、一隻のLNG運搬船の命名式が行われました。名はフージンセイラー。風の神、風神です。
米国のシェブロン向けに建造された十七万四千立方メートル型のLNG船で、全長は約二百九十四・九メートル、全幅は約四十六・四メートル。九月末に竣工しました。
この船が注目されたのは、大きさではありません。甲板の上に、高さ四十九メートルの帆が二本立っているからです。
風力補助推進装置を積んだLNG運搬船は世界で初めて。商船三井が開発した硬翼帆「ウインドチャレンジャー」を二基積んだ船としても、船種を問わず世界初となります。
液化天然ガスを運ぶ最新鋭の巨大船が、帆を張って走る。なぜ今、帆なのか。
帆の歴史は五千年に及びます。古代エジプトのナイル川にも、遣唐使の船にも帆がありました。大航海時代に世界の海を一つにつないだのも帆船です。江戸時代の北前船は、大阪と北海道を結んで国の物流を支えました。
それが百年ほど前、商船の世界から姿を消します。理由は性能ではありません。定時性です。
風が凪げば進まない。向かい風なら苦労する。いつ着くか分からない船より、予定どおりに走る船が選ばれた。蒸気機関が帆を追い出したのではなく、荷主の都合が追い出したのです。
話は一度、一九八〇年に飛びます。
二度の石油危機で燃料費が跳ね上がったとき、日本で一隻のタンカーが竣工しました。新愛徳丸です。
船主は山口県の愛徳、建造は今村造船所。帆装システムは日本舶用機器開発協会と日本鋼管が、日本船舶振興会の助成を受けて開発しました。鋼の枠に帆を張った二基の帆を立て、風の推進力が増えれば主機の出力を自動で下げる。操帆に人手を必要としない省エネ帆装商船としては、世界で最初の実用船でした。
総トン数六百九十九トン、全長六十三・八五メートル。帆は幅八メートル、高さ十二メートルが二枚。船型やプロペラ、排熱利用などの改良と合わせて、同型の在来船に比べ約五割の燃料を節約したとされます。同じ方式の帆装商船は、国内で二十三隻が建造されました。二〇二三年、新愛徳丸は日本船舶海洋工学会の「ふね遺産」第四十六号に認定されています。
四十五年前に、日本はすでにコンピューター制御の帆に挑み、形にしていた。だが燃料価格が落ち着くと、話は続きませんでした。初期費用、荷役との干渉、マストの高さ。課題を残したまま、技術は眠ることになります。
いま甲板に立っている帆は、布ではありません。ガラス繊維を使った複合材でできた、硬い翼です。飛行機の翼を縦に立てた形といえば想像がつくでしょうか。飛行機が翼で上向きの揚力を得るのと同じ原理を、横向きに使って船を押します。
布の帆は風を受けて膨らんだりしぼんだりしますが、硬い翼は常に設計どおりの断面を保ちます。後ろからの風だけでなく、斜めから吹く風からも推進力を取り出せます。
最大の工夫は、伸び縮みすることです。三段の構造で、望遠鏡のように上の段が下の段へ収まる。伸ばせば五十メートル近く、縮めれば二十メートルほど。港への出入りや橋の下は、縮めて通ります。四十五年前に新愛徳丸が越えられなかった「高さ」の壁を、伸縮機構が片づけました。
制御は自動です。風向風速計の値から、最も船を前に進める角度と高さを計算し、帆を動かす。帆の根元には力を測るセンサーがあり、負担が大きくなれば角度を変えて風を逃がし、必要なら一段縮める。嵐のときは抵抗が最小になる向きへ自動で切り替わります。
かつて帆を操ったのは、大勢の熟練した船乗りでした。いまその役目を負っているのは、センサーと制御装置です。
構想が船になったのは、二〇二二年十月です。長崎の大島造船所で、ウインドチャレンジャーを積んだ一隻目、石炭輸送船松風丸が竣工しました。東北電力向けの船です。
ここからが肝心なところで、松風丸は一年半にわたって実際の航路を走り、数字を積み上げました。
この結果は第三者機関の検証も受けています。五パーセントと聞くと小さく思えるかもしれません。だが一航海で百トンの燃料を使う船なら五トンです。これが年間に積み上がり、何十隻に広がれば、効果は小さくない。しかも風は無料で、燃料価格が上がっても値上がりしません。
環境のためだけの装置ではない。経営を安定させる装置でもある。ここが、四十五年前と決定的に違うところだと思います。
松風丸のあと、二隻目のばら積み船グリーンウインズが二〇二四年に竣工しました。二〇二六年四月には、電源開発向けの既存の石炭輸送船、黒滝山丸Ⅲへの後付け工事が完了しています。既存船への改造搭載は、これが世界で初めてです。
そしてフージンセイラーが四隻目にあたります。東京ガス向けの新造LNG船への搭載も決まっています。商船三井は、二〇三〇年までに二十五隻、二〇三五年までに八十隻という目標を掲げています。
正直に書いておきたいことがあります。フージンセイラーの船体は韓国の造船所で造られました。日本のものは、帆と、その制御です。
船を丸ごと造る力では、すでに韓国と中国に抜かれて久しい。その現実は動きません。それでも、この話には見るべきところがあります。
帆が戻ってきたのは、技術が突然進んだからではありません。条件が変わったからです。燃料価格が上がり、国際海運に温室効果ガス削減が求められるようになった。追い風が吹いたとき、手元に蒔いておいた種があるかどうかで、立ち上がりの速さが決まります。
一九八〇年の新愛徳丸は、商売としては続きませんでした。だが、自動制御で帆を操るという考え方と、やってみて分かった課題は残った。四十五年後、素材が複合材に変わり、油圧の伸縮機構が加わり、制御の精度が上がって、ようやく形になった。
風が凪いでいた四十五年のあいだ、誰かが手を動かし続けていたということです。
五千年前から人と海を渡ってきた帆は、百年前に商船から姿を消しました。そしていま、別のものになって戻ってきました。