四稿目を「完」として閉じたつもりでした。ところが、続きを書かなければならなくなりました。
ロバーツ監督が、自分の口で認めたからです。
復帰戦の翌日、大谷選手はまた先発を外れました。その日の会見で、監督はこう述べています。
本人と、医師陣と、トレーニングスタッフに話をした。休ませるのが正しいことだ、と。
そして、そのあとに続いた一言が、私には響きました。
英語で「缶を道の先へ蹴る」といえば、問題の先送りを指す言い回しです。目の前の缶を蹴って前へやり、また追いついて蹴る。片づけずに、先へ先へと延ばしていく。
指揮官が、先送りしていたと認めたのです。
私は第一稿で、判断が遅いのではないかと書きました。第四稿では、休ませられるのは今しかないと書きました。それらを、監督が同じ意味の言葉で引き受けた形になります。
非難する気持ちにはなりません。むしろ、よくぞ言ったと思います。優勝を争う球団の監督が、自分の采配について先送りだったと公の場で言うのは、簡単なことではないはずです。
同じ会見で、もう一つの発表がありました。
金曜日に、若手の選手が指名打者としてメジャーデビューするというのです。監督はキャンプで二、三年見てきたと述べ、速い球から逃げない、ストライクゾーンを支配できる、と評しました。そして、大リーグで腕を磨きはじめるよい機会だ、と。
この選手について、監督は名しか口にしていません。ホセ、と。姓はホスエ・デパウラだと承知していますが、この会見の場で確かめたものではありませんので、そのように書いておきます。
ここで思い出していただきたいのは、第四稿に書いたことです。
大谷選手が四試合休んでチームが全勝したとき、この事実には二通りの受け取り方があると書きました。「いなくても勝てるのだから外してよい」と「いなくても勝てるのだから休ませてよい」。 私は後者だと申し上げました。
そして今、後者よりもう一歩進んだことが起きています。休ませたことで、若手が大リーグの打席に立てるようになった。 外したのでもなく、ただ休ませたのでもなく、その空いた枠が誰かの最初の一日になる。
監督は、こうも述べています。大谷選手が打線にいればもっと強いチームだと分かっている。けれど、いないことで他の選手が穴を埋めようとし、いつもより集中する面もある、と。
大谷選手が抜けたその試合の中身も、書き留めておきます。
山本由伸投手が七回を効率よく投げ切りました。監督は素晴らしかったと評しています。
そして、これまで酷使気味だったエドマン選手とヘルナンデス選手を、試合の途中で下げて休ませることができました。監督はそれを喜んでいます。
さらに、不振の続いていたタッカー選手にこの数日で生気が戻ってきたこと、ベッツ選手が近ごろの好調を保っていることにも触れ、攻撃陣は全体として素晴らしかったと総括しました。
一人が休んだ夜に、四人か五人が浮かび上がっています。
ここから先は、私の予想です。断定ではありません。
この九月の休養は、ワールドシリーズへの最良の贈り物になる。私はそう見ています。
そう考える理由を、四つ挙げます。
一つ。順位表に余裕があります。 二位アリゾナとの差は十ゲーム半、優勝までのマジックは七まで来ました。ここで一日二日休ませても、何も失いません。
二つ。投球の負荷が完全に外れました。 今季の投手復帰は事実上の断念となり、腕を振る仕事がなくなりました。打者としての回復に、体のすべてを使えます。
三つ。層が厚くなります。 若手がデビューし、控えの選手が経験を積み、主力を休ませられる。短期決戦では、一人の不調が命取りになります。誰かが代われるという状態は、それ自体が戦力です。
四つ。そして、いちばん大事なこと。 監督が先送りをやめました。缶を蹴るのをやめて、拾い上げたのです。残り試合でもう何日か休みを入れることを考えている、と述べ、来季に向けても負担の管理をもっと先回りして考えるべきだったかもしれない、と語っています。
もちろん、外れるかもしれません。第二稿で私は「四日で足りた」と書いて、それを取り下げたばかりです。同じことをまたやる可能性は十分にあります。
それでも、こう予想しておきます。十月の大谷選手は、九月の大谷選手より強い。 判定は、そのときに。
連載の四稿目で、私はこう書きました。十年見ていたいから、今日休んでほしい、と。
その願いに、思いがけない形で答えが返ってきました。監督が缶を蹴るのをやめ、若手が最初の打席へ向かい、休んだ夜にチームが伸びやかに戦った。
休むということは、何かを失うことではないのだと思います。
休んだ一人の場所に、別の誰かが立つ。その誰かにとって、それは人生で最初の大リーグの打席かもしれない。休むことが、誰かの始まりになる。 そういうことが、実際に起きるのですね。
十月に、あの本来のスイングを見せていただきたい。五回とも、願いは同じです。