第1回では、製造を意味する manufacture の語源が「手で作ること」であり、テスラの人型ロボットが手の量産でつまずいていることを書きました。第2回では、そのロボットが人の動きを見て手の使い方を覚えていること、そしてそれが日本の「見て覚えよ」の技能伝承と同じ骨組みを持つことを書きました。
最終回の今回は、時計の針を8年前に戻します。人の手を軽んじた自動化が何を招き、何がそれを救ったのか。そこから、人口が減っていく日本の進むべき道を考えます。
2017年、テスラは普及型の電気自動車「モデル3」の量産に乗り出しました。マスク氏が思い描いたのは、人がほとんど立ち入らない、機械が機械を造る工場です。番組によれば、テスラは試作用の安い仮の治具で不具合を洗い出す手順を飛ばし、最初から高価な本番用の設備を発注しました。
結果は「生産地獄」と呼ばれる事態でした。2017年7〜9月期に造れたモデル3は、わずか260台。複雑に張り巡らせたコンベヤーは動かず、撤去されました。前回ふれた、柔らかいマットをつかめなかったロボットも、この工場の話です。
2018年6月、テスラは工場の脇に、テントのような簡素な建屋を建て、わずか数週間で新しい組み立てラインをつくりました。倉庫にあった設備をかき集め、ロボットの代わりに人が並んだラインです。
その6月最後の1週間、モデル3の生産は5,031台に達し、目標の週5,000台を、約束より半年遅れで超えました。番組によれば、5台に1台はテントから出てきたといいます。
これに先立つ2018年4月、マスク氏は「テスラでの行き過ぎた自動化は誤りだった。正確に言えば、私の誤りだ。人間は過小評価されている」と書き込んでいます。
モデル3はその後、世界で最も売れた電気自動車になりました。地獄は工場の中にあったのであって、車の中にあったのではありません。そして、その地獄から会社を救い出したのは、最新鋭の機械ではなく、テントの中の人の手でした。
それから8年。テスラはカリフォルニア州フリーモント工場で、会社の名声を築いた高級車モデルSとモデルXの生産を終え、その生産ラインを取り払って、人型ロボット「オプティマス」の生産ラインに置き換えています。目標は年100万台。さらにテキサス州の工場の隣では、年に最大1千万台を造るという、新しい建屋の建設が進んでいます。
ところが、その工場で造るはずの第4世代は、まだ完成予想図すら公になっていません。製品より先に、夢の工場が建ち始めている。番組は、8年前と同じ物語が繰り返されつつあると指摘します。
もっとも、テスラが何も学ばなかったわけではありません。第3世代のためには新しい工場を建てず、既存のラインを改造して試しています。マスク氏自身、「オプティマスには1万点の固有部品があり、生産の速さは一番遅い部品で決まる」と、量産の難しさを口にしています。第1回で見たとおり、その一番遅い部品が、手なのです。
ここに、この連載を通して見えてきた、一つの皮肉があります。人に代わって働くはずのロボットの手は、今も人の手でネジを締めて組み立てられています。そのロボットに仕事を教えているのも、同じ動きを何百回も繰り返す人です。人を置き換えるための機械が、人なしには一歩も進めない。
私はこれを、ロボットの限界だとは思いません。むしろ、ものづくりの本質だと思います。製造とは、もともと手で作ることでした。機械がどれほど賢くなっても、その出発点には人の手があり、人の技がある。それを軽んじた自動化はつまずき、それを尊んだ現場が道を開く。8年前のテントが、それを証明しています。
では、日本はどうするか。厚生労働省の人口動態統計(概数)によれば、2025年に生まれた子どもは67万1236人で、10年続けて過去最少を更新しました。合計特殊出生率は1.14。亡くなった方との差し引きで、一年に91万人あまり人口が減っています。働き手の不足は、もはや先の話ではありません。
その穴を、外国から人を迎えて埋めるのか。それとも、人の手を補う新しい手を、自分たちの手で育てるのか。私は後者を選ぶべきだと考え、「移民より、FAI。日本にはこの答えがある。」という提言をまとめてきました。FAI(Fully Autonomous Intelligence、完全自律型知性)とは、体を持ち、現場で自ら判断して働く人工知能のことです。
一つ目は、部品です。第2回で見たように、ロボットの関節を動かす小型精密減速機では、日本企業が世界首位に立っています。完成品で勝てなくても、世界中の人型ロボットの手の中に日本の部品が入っている――それだけでも国益にかないます。
二つ目は、文化です。「見て覚えよ」と技を手から手へ伝えてきた国は、ロボットに手本を見せる時代に、ほかにない蓄えを持っています。
三つ目は、需要です。世界で最も早く高齢化が進む日本には、どの国も自前ではつくり出せない、最も切実な現場があります。介護の現場です。
四つ目は、災害です。日本は言わずと知れた地震大国で、人が揺れを感じない小さなものまで含めれば、地震は毎日のように起きています。ひとたび大きな災害が起きれば、がれきの下にも、人の近づけない場所にも、救助の手が要ります。
五つ目は、日本を取り巻く安全保障の環境です。中国(中共)は国防費を増やし続け、米国に次ぐ軍事大国となりました。日本を射程に収め、核弾頭を積むことのできるミサイルも配備しています。日本人を拉致し、自国民を犠牲にしてまで体制の誇示を続ける北朝鮮。ジョージア、クリミア、そしてウクライナと、他国への侵略を繰り返すロシア。日本の周りは危険に満ちています。自衛官の確保が年々難しくなるなか、守りの現場にもまた、人の手を補う手が必要です。
提言では、導入の順番を、介護から災害、産業、そして防衛へと描きました。入口は工場ではなく、介護の周りの仕事です。人を抱え上げることではなく、運ぶ、見回る、片づける。目的は人を減らすことではなく、人にしかできない仕事を、人の手に返すことです。
番組は最後に、こう問いかけました。今度正しいのは、夢の工場か、それともテントの中の人々か。
私の答えは、どちらか一方ではありません。人の手を尊ぶ国だからこそ、人の手を補う手をつくる資格がある。テントの人々の手を知る者が、夢の工場を建てるべきなのです。その役目を担えるのは、日本ではないでしょうか。
三回にわたって、手について書いてきました。いま、キーボードを打っている自分の手を見ています。何百万年もかけて磨かれてきたこの手で、次の時代の手をつくる。生かされて今を存在する者として、その仕事に、日本の出番があると信じています。
人口減少の日本が選ぶべき道は、人型の自律知能(FAI)を育てることだと考え、提言にまとめています。この連載は、その提言を「手」から考え直す試みです。
▶ 提言を読む
牧正人史先生が昭和三十三年に発見された姓名科学の体系を、デジタルの形で遺す仕事を続けています。お名前から、その方の持つ数理をご覧いただけます。
▶ 姓名科学の殿堂へ