休ませてほしいと、五回にわたって書いてきました。
そして、本当に休むことになりました。
九月十一日、ドジャースは大谷選手の負傷者リスト入りを発表しました。右上腕の炎症による、十五日間のILです。八日にさかのぼって適用され、最短の復帰は二十三日、日本時間の二十四日となります。
ロバーツ監督は、数日間はバットを振らせず、状態を見ながら最善策を考えていくと説明しました。復帰までに必要な日数について、決まった考えがあるわけではない、とも述べています。
膝にもまだ痛みが残っているが、現状の問題は右上腕であり、スイングの際に違和感を生んでいる、という説明でした。
第一稿で私は、十日程度を使うべきではないかと書きました。第二稿では、その数字に医学的な根拠はなかったとして引き下げました。
結果は、十五日間でした。
言い訳がましくなるので、これ以上は書きません。あの日あの時点では、監督が症状は落ち着いたと言い、復帰の見通しも出ていたのです。その材料で考えたことですから、外したことを恥じるつもりはありません。
ただ、一つだけ書き留めておきます。第一稿にはこうも書いていました。左膝を庇えば骨盤の回転が変わり、そのずれが右腕や首へ連鎖する可能性がある、と。
その後の報道で、状態が球団の当初の説明より深かったことが伝えられています。
左膝の炎症を抑える注射を打ちながら出場を続けていたこと。膝を庇えば手打ちになり、バットを振る速さが人一倍であるだけに、首の周辺まで痛めたこと。離脱した直後は、野球の技術練習が行えないほどの状態だったこと。
八月の下旬には、空振りのあとにふらついたり、右腕を気にして顔をしかめたりする場面もあったと報じられています。
私が第一稿を書いたのは九月三日でした。その時点で、すでに注射を打ちながら出ていたことになります。
あの記事で私は、順位表に八ゲームの余裕があるのだから休ませてよい、と書きました。今にして思えば、余裕があるかどうかの話ではなかったのかもしれません。
そして九月十七日、現地シンシナティ。
ドジャースはレッズに八対二で快勝し、二〇二二年から五年連続となるナ・リーグ西地区優勝を決めました。二〇一三年以降の十四年間では、二十一年を除く十三度目になります。
初回にタッカー選手の十六号二ランで先制。二回にフリーマン選手の犠飛などで二点を加え、四回には四安打を集めて三点。七対〇と突き放しての勝利でした。
前日には、こんなことがありました。マジック一で迎えた試合の先発がスネル投手でしたが、一回を十九球投げただけで左股関節の張りを訴えて緊急降板。 急遽のブルペンデーとなって敗れ、優勝の決定は一日持ち越されていました。
そして優勝を決めたその日、ベンチに大谷選手はいませんでした。
この優勝が、どういう形のものだったかを書いておきます。
打線の中心、二番を打つ外野手、抑えの投手、若い先発、そして救援の一角。役割の違う五人が、同時に抜けていました。
それでも独走しての優勝です。先発では山本投手が十四勝を挙げ、救援ではベシア、ドライヤー、スコットといった投手が回り続けました。打線もベッツ選手、フリーマン選手、マンシー選手らが、本調子でないなりに勝負所で意地を見せたと報じられています。
層が厚いというのは、こういうことなのだと思います。
ここで、一つの見方を書いておきたいと思います。
優勝すれば、シーズンが一か月延びます。十月を戦い抜けば、翌年までの休養は一か月短くなる。それが二年続けば、三年目に体が音を上げる。
この見方に立つと、今の故障者の多さは不運ではなく、勝ち続けたことの代償だということになります。
山本投手の昨秋を思い出してください。リーグ優勝決定シリーズ第二戦で九回百十一球の完投。ワールドシリーズ第二戦でも九回四安打一失点、八三振、無四球の完投。ポストシーズンでの二試合連続完投は、二〇〇一年のカート・シリング以来だそうです。 そして第六戦で六回を投げ、翌日の第七戦にもマウンドへ上がりました。
大谷選手も同じです。昨季の本編があり、十月があり、今季があった。その途中で膝を痛め、注射を打ちながら出続けた。
三年連続の世界一を成し遂げた球団は、これまでヤンキースとアスレチックスの二つだけで、ナ・リーグの球団には前例がないと言われています。なぜそれほど難しいのか。強いチームが弱くなるからではなく、勝ち続けた体が三年目に追いつかなくなるからではないでしょうか。
大谷選手は、十四日にスイングを再開し、翌日には打撃練習まで進んだと報じられています。一日で一段上がったことになります。
二十三日に復帰できれば、レギュラーシーズンで五試合ほど出場して、十月に備えられる計算です。
私が願うのは、その五試合で結果を出すことではありません。五試合を、痛みなく終えられることです。
そして、もし体が戻らないようであれば、そのときはまた休めばよいと思っています。第四稿で書いた通り、休むことを弱さと受け取らない空気をつくることが、外にいる私たちにできる唯一のことですから。
五回にわたって休めと書き、六回目に本当に休むことになりました。
当たったと喜ぶ気持ちには、まったくなれません。
注射を打ちながら出ていたことも、技術練習ができないほどだったことも、私は後から知りました。外から見ている人間に分かることなど、たかが知れています。 私が書いてきたのは、報道された数字を並べただけのものでした。
それでも、書いてよかったとは思っています。休めと言う声が、どこかに少しでもあったほうがいい。本人が休みたいと言えない人であるなら、なおさらです。
チームは優勝しました。大谷選手のいない場所で決まりました。悔しいだろうと思います。
けれど、今年の成績がこの優勝を作ったことは、誰も否定できません。膝を庇いながら、注射を打ちながら、それでも打席に立ち続けた三十本と八十打点が、この順位表を作ったのです。
十月に、あの本来のスイングを見せていただきたい。六回とも、願いは同じです。