戻ってきそうです。
現地十九日、日本時間二十日。本拠地でのジャイアンツ戦の日です。
大谷選手は、負傷者リストに入ってから初めてグラウンドに出ました。
試合はドジャースが十対四で勝ちました。
会見でのロバーツ監督は、上機嫌に見えました。打線が六イニング連続で得点したのは、監督一年目以来だそうです。その話から始まって、大谷選手の話になりました。
素晴らしかった、と二度繰り返し、こう続けています。走る姿を見ていて、脚を使えているように見えたし、力強い印象だった。だから次のシリーズで彼を見られる可能性は十分にある、と。
日程を整理しておきます。
五試合です。
百六十二試合の長いシーズンで、最後に残されたのが五試合。そのあとは、すぐに十月が始まります。
ここからが、今日いちばん書きたいことです。
アーロン・ベイツ打撃コーチが、取材に応じてこう語っています。
彼の状態はとてもよい。ベースランニングを見ても分かるだろう。今のところすべて順調だ。そして、こう続けました。
さらに、別の報道ではこう伝えられています。負傷者リストに入る前よりも、はるかに不安なく振っていた、と。
私は、この一言で手が止まりました。
考えてみてください。
十二日間、試合から離れていました。打席にも立たず、投げもせず、遠征にも同行しなかった。普通に考えれば、感覚は鈍っているはずです。
ところが、コーチの見立ては逆でした。離脱前よりも、不安なく振れている、と。
これは、私がこの連載で六回にわたって書いてきたことの、答えにあたると思います。
第一稿で、休むべきだと書きました。第四稿では、まだ休ませてよいと書きました。そのたびに、休めば取り返しがつかなくなるのではないか、という声も目にしました。実際には、休んだことで良くなっているのです。
膝をかばい、注射を打ちながら打席に立っていた頃、振るたびにどこかが痛んでいたはずです。痛みを避けようとすれば、思い切って振れません。不安なく振れないという状態が、ずっと続いていた。
休んだことで、その不安が消えた。だから百パーセントで振れる。
理屈にしてみれば、当たり前の話です。ただ、その当たり前が、九月の頭には通らなかったのです。
とはいえ、手放しで喜んでよいとも思っていません。
残りは五試合です。そして、その先には十月があります。
五試合をどう使うかで、二通りの考え方が成り立ちます。
一つは、実戦の感覚を取り戻すために、できるだけ出す。 打席勘は打席でしか戻りません。十二日も離れていたのですから、機械相手の練習だけでは足りない、という見方です。
もう一つは、最小限にとどめる。 せっかく引いた炎症を、また悪化させては元も子もない。順位はもう決まっているのですから、無理をする理由がない、という見方です。
私は、後者に近いところにいます。
ただ、前者の理屈も分かります。打席勘は、休んでいては戻らない。 そこは機械では代われません。
ですから、こう思っています。五試合すべてに出る必要はないが、二試合か三試合は立ったほうがよい。 そして、その間に少しでも違和感が出たら、ためらわずに下げる。
幸いなことに、監督は今回、先回りを覚えたようです。第五稿で書いたように、缶を蹴るのをやめると自分で言いました。
復帰したら、必ず数字の話になります。
何打数何安打だったか。三十一号は出たか。出なければ、まだ本調子ではないと書かれるでしょう。
けれど、見るべきはそこではないと思っています。
翌朝、体がどうか。 これに尽きます。
打っても打たなくても、翌日に腕や膝や首が痛まなければ、それが成功です。逆に本塁打を打った翌朝に痛みが出たなら、それは失敗です。
ベイツコーチの言葉で、私がいちばん重く受け取ったのは「百パーセント」ではなく、「不安なく」のほうでした。
数字は、あとからついてきます。不安なく振れる体があれば。
七回にわたって、同じことを書いてきました。
休んでほしい。痛みが出てから休むのでは遅い。休むことは弱さではない。十年見ていたいから、今日休んでほしい。
そして今、休んだ人が戻ってこようとしています。休む前より良い状態で。
この連載で書いてきたことの、ひとまずの答えが出たように思います。
もっとも、本当の答えは十月に出ます。あの五試合と、その先のポストシーズンを、どういう体で戦えるか。そこまで見届けなければ、何も言えません。
十月に、あの本来のスイングを見せていただきたい。七回とも、願いは同じです。